先日、機会があって、新宿のオペラシティで ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴いてきたのですよ。 ややミーハーながら、実は生で聞いたのは初めて(*ノノ
クロニクル的に勇壮な興奮を呼ぶ一楽章、 その余韻を引き摺りつつ感傷的な安らぎに誘う二楽章。 ココロを乗せて楽しみながら、それでもやっぱり感じてしまったのは、
”人間、どれだけ追いつめれば、これだけロマンチックな、 空虚な精神の高揚を絞り出せるんだろう?”
ということ^^;
確かに、このピアノ協奏曲第二番を書いた頃のラフマニノフが 精神的にこっぴどく追いつめられていたのは割と有名な話。 交響曲第一番が不評だったことで鬱入ってしまって、 精神科医のお世話になるまで追いつめられていたのです。 そのお医者さんのかけてくれた自己暗示のおかげで完成させたのがこの世紀の傑作。
でも翻ってみれば、そんなに不幸か?ってな境遇なわけですょ。 波瀾万丈の生涯ですけど、むしろ鬱入ってたのはそれなり安定して幸せな時期。 モスクワ音楽院ピアノ科を首席で卒業、オペラの指揮者にもなって将来は約束された身。 チャイコフスキーを始め、音楽界に味方がいっぱい。 プライベートでも従姉妹をはじめいろいろとらぶらぶな気配? それが、たかが批評家に酷評されたくらいで こんなロマンチックな曲が搾り出てくるまでに凹むだなんて。
ともすれば贅沢な甘ったれ。 でも、世紀の傑作というものは、持つモノを持ちながら(つまり活動のリソースを持ちながら) それでもこっぴどく憂鬱に落ち込むことが出来る贅沢な人だけがなしえるのかも。
日々円満であることを主に感謝するのを是としてきた影鈴だけど (そしてその幸福感こそが次の創造を産む活力だと信じてきた影鈴だけど)、 実は逆で、何かを成す為には、敢えて僅かな不足を見逃さずに嘆く姿勢が大事なのかもです。 しかしそれでは天才はいつまでたっても幸せになれない・・ まぁ、塩野七生に言わせれば、神に愛された者はその事実に満足すべきで、 自分の幸せなど考えてはならない、となるわけだけど(笑
ネガティブな人って多いけど、前向きな効用がきちんとあるからなのかも。 そして、前向きを狙うネガティブ('◇'*)なら、別に本当に不幸である必要はない・・ などと、良かった探し志向一色の影鈴なので、やや自戒をこめて普段と逆の極論をば。(笑 一生できちんと、何かを成したいものです><
ジャンルは変わりますが、 ちょうど時期を同じくしてこんなことも。
友達(と言ってよいのかな(*ノノ)のIさんが、 大学に行きながらの弱冠20歳で めでたくプロの漫画家さんに向けての初仕事(?)をこなしたのです。 ”漫画家になりたいけどどうやってなったものだか”と言っていたので、 ”これだけ面白い同人誌を書いていればあっというまにスカウトの目にとまりますよ” と助言してた影鈴。3ヶ月とたたないウチに的中しちゃいました。
ところが、そのIさんが元気なさげ。馬鹿な('◇'* なんでも、同列に並ぶ他の作家さんの作品が上手くて恥ずかしいのだとか。 (影鈴的には、お互いの作風のベクトルが違うので較べられないと思いましたが・・)
”向上心は結構だけど、そんなに沈んでちゃ作品に響く、才能あるんだから自信持っていくのだー” お節介ながら説教しかけた影鈴。 ところが、まさに説教を始めようとしたその刹那、 彼女から次の仕事の作品だという、未発表のイラストが送られてきたのです。 キャラの造形はやや甘いかもだけど、それを吹き飛ばす構図と小物の妙。 なにより、見ていれば見ているほど気持ちの良くなる色彩の世界。
そのイラストのスキルとセンスを見ているうちに、 翻って何も残せていない我が身をふと思い出した影鈴は、 ”自分は同人でやっていけないなぁ”という軽い絶望感を覚えてしまいました。 それと同時に悟ったのは、 彼女の憂鬱はきっとそれと同じコトをもっと苛烈な相手に対して感じて故なのだろうと。
だとしたら、”才能があるから自信を持て”だなんて影鈴が言ったところで、 何の意味やあらむ。せいぜい社交辞令に相手を煩わせるだけ。 もはや切磋あるのみです。 とことん落ち込んで、そしてその果てにIさんならではの素晴らしい世界を具現するのだ('◇'*)! 無力ながら、応援してますですよΣG(≧▽≦
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